人生100年時代と言われてますが、100歳まで足腰もじょうぶで、元気に過ごすことができるのか?と考えたときに、かなり自信がない筆者です。
昭和時代のように大家族で暮らす家も少なく、核家族化も進んでいる昨今。
子ども達に「老後はよろしくね!」ということは決してできないと考えます。
そんな時に知ったのが「はっぴーの家ろっけん」です。
「はっぴーの家ろっけん」に惹かれた理由を、超個人的見解を交えてお伝えしたいと思います。
「はっぴーの家ろっけん」ってなんの家?ハッピーになることができるの??
はっぴーの家ろっけんは「介護付きシェアハウス」です。
所在地は兵庫県神戸市長田区二葉町1丁目1-8
あれ⁉長田区って…。
そうです。
1995年1月17日。
阪神・淡路大震災で被災した地域です。
この地区に、筆者が老後を過ごしたいと思える
介護付きシェアハウスがあります。
代表を務めるのは首藤義敬さん。
30代の彼が、この地に老人向けの施設を作ったのは、
やはり阪神・淡路大震災が関係しているそうです。
首藤さんのお話を聞いたのは、あるテレビ番組でした。
「やっぱり生活って人なんですよね」
そういうことを話されていました。
復興していく地域を見ていた首藤さんは、
復興が進んだ地域ほど人の生活が感じられず、
復興が進まない地域ほど人の生活を感じられたそうです。
便利なだけが生活じゃないってことですよね。
そういえば、筆者が幼い頃は、
近所のおじさんやおばさんにも叱られたものです。
「あいさつを大きな声でせんか!」
って感じで。
今だと考えられないですよね。
当時は「おはようございます!」
と大きな声であいさつしたら
「おお、気を付けて学校行けよ!!」
と笑顔で言ってくれたものです。
社会で子どもを育てるって、
そういうことも含まれるのかな、
と大人になった今は思います。
ただ、最近は自分の子ども以外を叱るなんて、
相手の保護者からクレーム言われるかもしれないし、とか。
そもそも知らない子だし、とか。
注意する大人が減ってきて、人間関係が希薄になってきた気がします。
便利さと引き換えに、人との触れ合いが減ってきた感じですよね。
首藤さんもそう思われたのかな、と筆者は勝手に解釈なのですが。
そんな首藤さんが作られたのが
「人の温かさを感じることができる老人向け施設」
の「はっぴーの家ろっけん」です。
これを聞いただけでも、すでにハッピーになれそうですよね。
はっぴーの家ろっけん、地域の子ども達の憩いの場である衝撃!!(大人もね☆)
老人向け施設というと、お年寄りの方が住んでいて、
週に何回かみんなでレクレーションして、あとは面会にきた家族と会って…。
と思ってしまうのですが、はっぴーの家ろっけんは違います。
近所の子供たちが、気軽に遊びに来て、
入居されている人たちと「家族」のように接していく場所なんです。
昭和の「大家族」のようですよね。
テレビで紹介されていた時、入居されている方が
「子ども達の声が聞こえたら、あー今日も生きとるんやなって思うわ。」
と言われていた言葉が印象的でした。
老人向けの施設って、筆者の祖母も入居していましたが、とにかく「静か」なんですよ。
寝ている人もいるからってこともあるんですが、
基本的に入居者同士で個人的に交流することが少ない。
例えばですが、筆者の祖母は、週に2-3回、必ず誰かが面会に行っていました。
反面、一切面会に来ない入居者もいるんですよね。
そうなると、嫉妬の対象となるんだそうです。
祖母に面会に行くたびに「●●さんに蹴られた」などの愚痴を聞くことは毎回でした。
その施設は要介護度が高い人しか入れなかったので、全員車いすだったんですけどね…。
そういうこともあり、入居者同士の交流は少ないのかなと思います。
※筆者の祖母が10年以上前に入居していた施設の話です。
話を戻して、はっぴーの家ろっけんは、地域の子どもだけではなく、
誰でも来てもOKな施設なので、すごくにぎやかなんですよ。
小さな子供たちがいるから、
入居者の方はその子たちが危ないことをしないか見ていてくれる。
それって、やりがいが生まれますよね。
上手く構成された施設だなと、つくづく感動できるものです。
まとめ
老後はどういうところで迎えたい?と言われたら、まずは「自分の家」と答えるでしょう。
ただ、介護が必要な状況となっていれば、話は別です。
子ども達に面倒をかけたくないので、できれば施設で過ごしたい。
そして、その施設は「はっぴーの家ろっけん」のように、昭和の大家族のような場所がいい。
阪神・淡路大震災で「失う」辛さを体験したことがある代表の方だからこそ、実現できた施設だと思います。
筆者も、老後はこういう温かさのある施設で過ごしたいものです。